はるかちゃんを救う会

両親からのご挨拶


 まず、はるかを救うために、ボランティアの方々のおかげでこのように救う会を立ち上げて下さいました事、心より感謝申し上げます。

 2003年(平成15)年2月7日午前0時59分、静まり返った部屋に大きな泣き声が響き渡り、待ちに待った長女はるかが誕生した日のことを私たち両親は今でも鮮明に覚えています。暦では春の季節に生まれるため、まだ性別も分からぬ頃から、“はるぼー”の愛称で呼んでおり、自然と遥香(はるか)という名前に二人の意見は一致したように記憶しています。
初めて経験する子育てに戸惑いや不安はありましたが、日に日に成長していく姿が楽しみで、言葉が出るようになればパパ・ママと何度も言わせてみたり、また歩くようになったら家族中大騒ぎでビデオを撮ったりと、何度“親ばか”と言われたことでしょう。

 毎日元気いっぱいに育ってくれていましたが、成長するにつれてひどい咳が続くようになり、昨年12月肺炎で入院した際、症状の寛解どころか、軽減もなく、突然の「拘束型心筋症」の診断を受けました。今、思い返すと、咳が止まなくなった去年の夏ごろより顔のむくみが見られるようになり、食欲も落ちていたと思います。その頃、ちょうど心臓の位置に当たる左胸が突出してきたように記憶しています。なぜ、もっと早くにはるかの身に起こった異常に気づいてあげられなかったのだろう、一番近くにいて毎日はるかの事を見てきたのにと、診断を受けた日から悔やまない日はありません。

 「拘束型心筋症」は50万人に1人程度の頻度で、小児心筋症の5%以下程度と非常に稀な疾患です。突然死が1割程度あり、また5歳以下の発症の場合、半数強の患者が2年以内に死亡する予後不良な疾患です。現在有効な薬物治療はなく、はるかを救うために私たち家族に示された唯一の選択肢は心臓移植でした。はるかの場合、既に肺高血圧を来たしており、現時点では心臓のみの移植であるが、これ以上肺高血圧が進行した場合には、心臓のみならず、肺も同時に移植する必要があるとのことです。見た目には元気な状態ですが、時間的な余裕はないと説明されました。

 娘は、まだ自分の病気を理解することができません。もちろん、自分の治療を選択することもできません。私たち夫婦がその選択肢を提示されたとき、迷いはありませんでした。
幼稚園に行きたい、お友達と遊びたいというのが今のはるかの望みです。感染症の予防・運動制限をしなければならないという理由から今自宅での生活が中心です。そのはるかの望みを何とか叶えさせてあげたい、そしてそれ以上に何よりかけがえのないわが子を失いたくないという思いで、私たちははるかが生きる道、すなわち心臓移植を受けることを決意しました。
私たちが選択した事は決して簡単な事ではありません。15歳未満の小児からの脳死臓器提供はなく、心臓移植を海外で受けるしかありません。また移植医療とは、ドナーがいて初めて成り立つ医療です。同じ年代の子どもさんがドナーとなる事は、一人の尊い命が失われた後、その命をいただき「生」をつなぐことを意味します。もし、あるご家族よりドナーとしての臓器提供の申し出があったとしたら、私たちは感謝の気持ちでいっぱいになるでしょう。でも、ドナーのご家族のご心痛を思うと何と申しあげたらいいのか・・・そのような移植手術を受けることの重大さを痛感しています。

 海外での移植医療には保険がきかない為莫大な費用がかかり、また無事に移植手術が成功しても拒絶反応との一生続く長い戦いが待っています。それでも、それでも一分一秒でも長く生きぬいていてほしい、そして精一杯はるかの人生を生きて欲しい、それが私たち両親の願いです。
莫大な費用に関しましては、はるかに残された時間が少ない事を考えますと、皆様の善意にすがるしか方法がありません。
どうか皆様方の温かいご支援をよろしくお願い致します。

2007(平成19)年2月28日、岩下龍史、さおりより

この世に生を受けた子供たちが、精一杯「命」を全うできますように・・・・・。
皆様の温かいご支援、よろしくお願い申し上げます。

はるかちゃんを救う会

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